結構おもしろいな、と思って「功名が辻」毎週かかさず…ってほどでもないんですが、見ております(ついでに言うならば「柳生十兵衛七番勝負」も好き)
先週は、織田軍が比叡山を攻撃する回だったのですが、たちひろし(信長)の演技は見物でした。へーこんな演技する人なんだ、とかなり驚いた。でも本題はそこにはありませんで。
比叡山を攻撃する、という決断を信長が下したとき、みんな躊躇するんですね。相手が僧侶とその家族たち一般市民になるから。躊躇するんだけど、信長の意向には逆らえないでいる。でもその時明智光秀が進み出て、相手は僧侶だと、苦言を呈するわけです。仏罰があたる、と。信長は、魚肉を喰らい姦淫する僧侶にはなぜ仏罰があたらないのか、と烈火のごとく怒り、光秀を庭へたたき落としてしまいます。
その信長の鬼のような剣幕を見ていた秀吉は、自陣に帰り、一豊をはじめとする家臣たちに比叡山攻撃を伝えます。やはり不安げに顔を見合わせる皆に、主上の命には逆らえない、と非情な一言。
でもって比叡山攻撃は、やはり凄惨なものになりました。光秀は、ココロを鬼にして、目の前で命乞いをする僧侶女子供を皆に斬らせます。一方、一豊たちも、目の前にいる女子供を前に、斬ろうかどうしようか迷っていました。とのが斬れないなら、と一豊の家臣が前に進み出、刀を振り上げたとき、まてまて、とそこに走り込んできたのは秀吉でした。あちらで味方が苦戦しているから、そんなものおいて、いけ、いけ!と皆を追い立てます。そして、あとに残った女子供に、逃げろ、逃げろ、というのです。
論功行賞のとき、光秀には5万石の加増がありました。ついに一国の城主になったのです。秀吉には何の加増もありませんでした。さすがにしょげた様子で自陣に帰ってきた秀吉は、主君の命に必ずしも従う必要はなく、己の裁量でやればいい、ということをぽつりと皆に言います。
秀吉が本心から「女子供を斬りたくない」と思ったかどうかはわかりませんが(この人の場合は、躊躇している家臣たちや、世間の思いを敏感に感じ取った上での戦略的なものとも考えられるので)、「命に従うことはない」とボソリとですが言えるこの秀吉はおもしろいなあ、と。信長を恐れず諫言した明智光秀もほんとはえらかったのかもしれません。でも結局、光秀は命に逆らえず、秀吉はものを言わずに逆らったと。秀吉のやり方は姑息っちゃ姑息ですが(苦笑)
とにかく、この光秀と秀吉の対比を、おもしろく見ました。
それで思い出したのですが、ミューラァは子供のカチュアを人質にしますよね。親を探してるんです、と必死に、何の疑いもなく近寄ってきたカチュアをです。任務のためなら手段選ばず、みたいな。いろんな方のレビューを見ていると、ミューラァのカチュアを質に取る行為は「軍人としての非情さ」とみなされてるようでして、主君から疎まれ、それが故にその命にがんじがらめにならざるを得なくなる光秀とそんなミューラァが、ちょっとかぶって見えたのでした。要するに、軍人(武士)の行動としては秀吉の方が異端なんでしょうけど、秀吉くらいバイタリティーがあったら、ああいうふうにミューラァも光秀も追いつめられていかなかったかしら…と思って。(ミューラァの場合は背景が光秀より特殊ですが、光秀も主君が特殊でしたから・笑)
…そんな不器用なアナタがすき、ちゅうことですか(笑)
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