ニュースで思い出しました。
懐かしい学校名が全国ニュースで出てきたから、一体何だと思ったら(^^;
今って世界史必修なんでしょうか。私らのとき(といっても十数年前ですが共通一次最後のトシだったから)は世界史日本史地理の中から2教科選択だったような気が。
それより、実のところ
「受験に必要な科目以外は勉強したくない」
これは私も担任に言いました。ただし、3年の2学期か3学期で、全ての授業内容が受験のための内容になっていたから(進学校なので)。そんなだったら私は美術室で実技させてもらってもいいはずだ、と職員室へ行って訴えたのをよく覚えています。※試験は、実技一次石膏デッサン後、実技二次静物水彩を行い、共通一次の国語と英語と社会の点数と面接で合格者が決まります。約15/300の狭き門なので、とっても必死だったんでしょうなと今では人ごとのよう。
その時は考えも及びませんでしたが、もしかして会議か何かにかけられていたんでしょうか、卒業式には出ずに(合格発表と卒業式が同じ日だったのかな?そんなことすら覚えてない)、翌日卒業証書取りに行ったら、「よかったねえ」と校長に出てこられて面食らいました。そういえば先生の監視もない中一人美術室で石膏デッサンとかしてた時、校長が来たような。実は監視役だったんだろうか。
私はあんまり高校のことは覚えていなくて、画塾で絵を描いていたときのことばかり覚えています。木炭デッサンは食パンを消しゴム代わりに使うんですが、耳の部分だけ余るので、近くの公園でそれを蒔くんですよ…するとむこーうの方から、音を立てて白い軍団(白鳥)+α(鴨)がやってくるのです。そんな感じで全く思い出もへったくれもない高校でしたが、もしかしてあのとき担任が責任持って矢面に立ってくれてたんだろうか、とか、実は私は先生たちに感謝しなければいけなかったのだろうか、自分で思っているより傍若無人な生徒だったのかもしれないとか、このトシになっておもいます。
なので今回のこの重大なヘマも、生徒の訴え?を聞いた故のなんというか、哀しくも愛しいヘマに感じられて仕方ないのでした…
コメント
なんか岩手県でも相当数の高校で単位が足りないとか。
で、今日のお昼に同じ年齢の会社の同僚と自分たちの高校のときはどういう履修体系だったかという話をしたのですが、お互いに全く覚えておらず(苦笑)
世界史をやっていたのは覚えてるんだけどな~
投稿者: かるめん | 2006年10月25日 23:06
ていうか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061025-00000118-mai-soci
<履修不足>10県65校、生徒数は1万2000人に
岩手とうちの母校だけじゃないようですねえ。
あそうか、土曜日午前の授業がないから、私らのころとは決定的に持ち時間が違うんですねえ。ゆとりといいながら、実際は詰め込みになってしまうんだなあ。
生徒の方は大変ですな。今から本格的に受験のための勉強なのに、関係ないもんを詰め込まされるんですから。テストとかもやるんでしょうかねえ一応??
私なら授業中他教科の参考書とか開きそう(^^;そんな生徒相手に授業をやる先生達も大変だろうに。
投稿者: DORA | 2006年10月26日 00:00