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いつものこと4

やばい…ミューラァの顔が、だんだん私の元々の絵になってきている気が…
最近アニメ本編見てないからか?
そして、基本設定に基づくワタシの解釈が膨張するとはつまりこういうことです(すみません…群像劇じゃねーよコメディだよ…)

   

いよいよ次です……うううどうちよう……

>エディアとエナーダ
民族感情と友情の狭間で一体どういう表現になるのかなと、これでも悩んだんですが…

「笑って誤魔化せ」と「終わりよければ全てよし」と思ってないかワタシ、みたいな(意味不明?)

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 右と左で全然雰囲気が……(笑)。

 これがあの大荒れシーンにどうつながっていくのか楽しみでする〜。

わ、わたしもどうなるか……(苦笑)わ〜〜んうまくいかなかったらすみませんなんですが……

あと、今まで出したところも、途中手を入れるかもしれません。最初のシミュレーションののシーンにダウア他上級生の姿を入れたいなと。ダウアと他の二人のミューラァへの感情の違いを出したい…

これもデジタルだからできるワザですな<コピペ(^^;

 おおーダウア出るですかー。なんか違う視点から見れて楽しいかもー。

 こうやって書いたものをふくらませていただけるのって原作者冥利につきますなあ……ありがとうございます。

 ふと考えたんですが、ミューラァって「いわれのない差別」は受けていても「根拠のある憎悪」ってのは案外経験がないんじゃないかなあという気が……。

 現実に地球人に危害を加えられた人を目の前にした時、ミューラァがどういう反応をするか、結構興味深いかもしれないです。単純に自分のせいじゃないと割り切るのか、それともいろいろ考えるのか。なんかあっさり前者の気がしないでもないですが(笑)。

 でもとりあえずプライドの高いダウアは、自分の過去を誰にも言ってなさそうな……孤児だということすら誰も知らなくて、そういやあいつが帰省したの見たことないな親とケンカでもしてんのかとか言われてたりして(爆)。

>いわれのない差別と根拠のある憎悪

そうですねーー後者の方は、時期的に見てもあんまり例がなさそうに思えます。いわれのない差別は…軍はもちろん士官学校においても、「敵」といったらすでに地球軍を想定しているんですよねーーいやん針のムシロ。授業で「地球」「地球人」出てくるたびにブスブスと。こんな中で割り切るなんて、ほんとにできるんかなあ…「つもり」にならなければやってけないとは思いますが…

そう考えると「根拠のある憎悪」を前にしたときのミューラァ……どうなるんでしょうねえ。いや、絶対、違うと思うんです、ダウアと他の人とでは<ミューラァへの感情とか態度

割り切っているつもりのミューラァくんにこれをぶつけたら。ドキドキですなあ。

そういえば、彼は本編で「オレはククトニアンだ」っていう、地球人の血を全く否定する割り切り方(つか逃げ)を頻繁にしておりますが、もしかしたらこれは後年のことで、「半分地球人の血が混ざってるからってだからどうなんだよどう違うってんだよ」という一部肯定的(いや開き直り?)考え方の時があったんじゃないですかね……それをも許されなくなる、つか逃げる余地のないようなこと(ダウアのような実際の被害者に会ったこと)がきっかけになって、自分に言い聞かせるようなあんないびつな思いになっていった、のかなあとまた膨張してしまいましたすんません……

いえ、ミューラァの「ダウア前、ダウア後」みたいな話(なんだそりゃ?)ができるのかもなと…………

>誰にも言ってなさそう

それは、そうであってほしいです(笑)いやんおとこまえ〜〜

 それもなんつーか、いやな状態ですなー<他の人と違う感情をぶつけるダウア

 言いがかりやいわれのない差別に対しては、それこそ無視したり、時にはそういうことをする相手を逆に侮蔑したりすることで折り合いをつけることもできますけど……。

 自分が悪いわけじゃない、でも相手がそう思うのも無理もない、となったら、一体どうしたらいいものか……ミューラァならずとも悩むところではあるかと思います。

>ククトニアン

 やっぱクレアド襲撃あたりの惨状を知って(それは政府のプロパガンダだったのかもしれないけど)、地球人とはこんなことをする連中だったのかと愕然とし、同時に地球人である自分が彼自身疎ましくなってしまったとか……うーん、ちょっと違うか?

 コロニーの人々が地球人のことをそんな細かく知っている訳ではないでしょうし、ミューラァにとって地球人といえばやっぱり母親の存在と結びついているから、何だかんだ言ってもそれほど悪い印象は持っていなかったのかもしれません。それが実は……となった時に、一気に自己否定にまでいってしまったのかなあと。そんなことをちと考えてみました。

>自分が悪いわけじゃない、でも相手がそう思うのも無理もない

それが戦時っつうものなんかもしれないなあと思います。組織や国家・集団の論理が個人としての情をのみこんで破壊してしまうみたいな。昨日の友も今日は敵みたいな。だからより、実力世界である(はずの)軍組織に依存するようになったのか…だから「誇りをもったククトニアンの軍人だ!」なのか…そういえば一民間人よりは軍人の方が、国家背負ってる割合大きいもんなあ…依存っていうより、国家そのものと一体化する感覚だったのかなあ……

>クレアド襲撃

やはりここが地球とククト間のターニングポイントになるんでしょうか。ベルウィック明け渡してしまったときはまだ、コロニーにまでその情報は伝わっていなかったということで。軍の中では秘密裏に全面戦争へ向けて準備が始まり、でクレアドに至って市民に反地球意識を植え付け開戦ムードを高めていく、ということになるのかな…。そうえいばリベラリストさえもベルウィックで地球人と小規模の戦闘が行われたことを知らなかったと言ってますもんねムック本でさらいだ博士が。しかし一方で、民間人をも巻き込んだ、地球人による大量殺戮であった、とあるので…クレアド前からじわじわ、とはきていたかなあ…。

ならばやはり、ダウア前ダウア後というより、クレアド前クレアド後、なのかもしれませんねミューラァの意識が激変するとしたら。差別意識が敵意識に変わる瞬間かあ…

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