人工呼吸器
地元(といっても市は違いますが)で起こった全国区のことで、ちょっと驚いているんですが。
難しい問題ですよねー。
今だから言えますが、うちの母が脳幹出血で倒れた時も、植物状態覚悟で積極的な治療をしますか、と聞かれましたけどね(今でもとってある病状説明書の写しに、「家族ー積極的な治療希望」と書いてある)要は、人工呼吸器をはずさなければ、心臓が自主的に止まる(生命活動が弱くなる)までは生きているけど、それが本人にとっていいことなのかどうか、という、そういうことをやはり言われるわけですね(もちろん、治る見込みがない前提で)
まあこの時は人工呼吸器をはずす云々の話ではなく、合併症などを次々起こした場合、の話だったと思いますが。(しかし…人工呼吸器外すのと積極的な治療をしないのとの差はどこにあるのか^^;)
母の場合は娘らの強い希望で、どんな姿になっても生きていてほしいです、とお願いして、お医者さんも看護士さんたちもがんばってくれて、自発呼吸を本人が始めてくれて、お腹も動き出してくれ意識も取り戻してくれ合併症などもなく、今は自宅で看護できるくらいにまでなってくれたんですけども、今でも四肢麻痺という、しゃべれるわけでないし栄養も直接胃に入れているわけだし動かせるのは目だけ(今は首もちょっと動く)という状態。普通に考えたら、そこまでして生きるのいやだわ、と思うかもしれませんね。
しかしもっと考え方をめぐらしてみて、人との関わりにまで広げてみると、見え方が変わってきます。私などは母が元気なころはまともに親孝行もできてなかったこともあり、今世話ができてよかったと思っているし、また、母が倒れて2年と半年になりますが、今でも様子を見にきてくれる人がいたりして、そのたびにお互い作用するものがあるというか…何か触発させてくれるものがあると思うんですわ。その他にも、孫が小学校に上がった、いとこに子供が生まれた、とか折々のイベントがあって、それらのことを本人が敏感に感じてくれるかどうかはやっぱりわからないですが、生きていることにはやっぱり意味があるということを、幸せだと思ってもらえるようにするのが私の役目だと。幸も不幸も、人との関わり合いの中で能動的に動かせるものなんじゃないか、満足に動かせない体でも五体不満足でも、幸せと感じることがもしかしたらできるのでは、と思っているわけです。
母が倒れるまでは、介護やってるテレビ一緒に見ながら「母さんがこうなったら、あんたやってくれる?」と言われて本気で「できん」と思っていたんですけどねえ。実際なってみると「やらせてくれ」って感じですもんね。なってみないと、人間わからないものなんだと、痛感してます。
その人との関わりがそこで終わるかどうかというのは、いろんな条件が組み合わさって、そのときそこにあるものだから、なるようになるものだと理解しています。母が死ぬときは母が死にたいと思ったときなんだ、となぜか思い込み、そう思わせないようにといろんなことをしましたっけ。こういう時って精神が過敏に反応するもんなんですな。自分の行動や言動の端々に至るまで、とにかく生きてもらうという目的にむかって張りつめるわけです。あの時の異常さといったら今では不思議なくらいなんですが、まあ、必死だったなあ…(なのに今のノホホンぶりときたら、何なんでしょう。せっかく戻ってきてやったのに、この娘は懲りない、と母は思っているかもしれない。当時は「踊る」今は…・苦笑)
患者やその家族って、病気とも闘うわけですが、実は同時に、お医者さんの言葉とも闘っているんですよね〜。お医者さんには、技術・知識はもちろん、人として患者やその家族の身になれると同時に、一緒に闘える強さが必要なのかも。これは気休めを言ってくれというのではありませんで。厳然たる病状の現実と共に、「一緒にがんばりましょう」、そして最後は「よくがんばりましたね」みたいな…患者やその家族に、治る治らない別にして、闘う意欲とか勇気を与えてくれるのも、お医者さんなんだと。
追記
「かわいそう」というのは一歩離れた感情で、家族が抱える感情とは違います。家族は、患者が苦しむ姿を見て、同じように苦しむものです。自分も苦しいから、相手はもっと苦しいだろうと感じ「楽にしてあげたい」と思う。そこまでは「同情」です。それらから一歩踏み込んだ、「同苦」…萎えそうになりながらも互いに励まし合い、痛みや苦しみを一緒に乗り越える、という気概が、世の中からなんか忘れ去られているような気がします。治る治らないを越えた、また別の価値がそこにはあると思うのですが…。