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41話でカチュアとミューラァを会わせたのは

いきなり思い立ったのですが、41話でサライダ博士がミューラァにカチュアを会わせたのは、ミューラァがカチュアの本当の両親の居場所を知っているかもしれないから、では全くないんじゃあ…。

ミューラァが母親を失ったのは、ククトニアンがベルウィックを失い反地球人感情が高まった2040年前後かと思われ。とすると5歳前後。いくらククトニアンの脳とはいえ、5歳までの幼児の記憶に赤の他人の行く末など残ってるもんでしょうか。つーかサライダ博士の方がそのへんのいきさつは詳しいのでは…。「コロニーにいるはず」なんてサライダ博士でも答えられる気がするんですが。なのに親切にカチュアの質問に答えてあげるとは(拉致の上逃走途中とはいえ)、やっぱりいいやつ<ミューラァ<余談
※もし仮に、ミューラァが母親と離ればなれになった年齢を、サライダ博士が知らなかったとしたら話は別ですが。

ということは、41話のサライダ博士がカチュアとミューラァを会わせたのは、…親心なのか信念なのか、カチュアの存在を知ることで、ミューラァの目を覚まさせようとした(サライダ博士側の言い分として)のではないかと思ってしまいます。

カチュアの身の上を聞いて一瞬同情?のような表情をかすかに見せつつも、サライダ博士の作為をミューラァが嗅ぎ取った、ということならば、…あくまで私の妄想ですが…あの場面、今までと違う見方ができそうだなあ、と思ったもので。

こまんど0、何ページか描いて一気に上げたいと思います。といっても3〜5ページづつとかだと思いますが。なんかつながんなくなってしまうので。
細切れだとブログのエントリー(きょうのこまんど0)ばっかり増えていってしまう、というのもあり。

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コメント

 なるほど!(ポン) 目から鱗です。
 そう、なんでミューラァを会わせるのか疑問だったですよ。ふたりの間に関係を作るための無理矢理展開なのかなーとか考えたりして。サライダ博士にそーいう思惑があったってなら分かります。
 うわーガキんちょのドラマの陰でこんな大人のドラマがあったのか。深い。
 ……しかしそりゃミューラァ、反発しますわな(笑)。

 というか何というか、やっぱりサライダ博士って、ミューラァと正面から向き合ってませんよねー。本人はやってるつもりなんでしょうが、相手のアプローチを無視して自分のものを押しつけるってのは、やはり正面から向き合ってることにはなりませんわな。

本当の、本当のところは、「ミューラァの秘密」と「カチュアを撃つな!」を書いた脚本家さんが平行してホンを書いたため、前者はなぜか「父親はシドを宿すとすぐに死んでしまった」といい、後者は、父親の死をミューラァ14歳のときという設定(どのムック見ても載ってるっていうのは、設定としてあったってことですかね)で書いてる、しかも最後まで誰もその矛盾に気づかなかった、ということですよねきっと…。14歳の時に父親なくした設定なら、サライダ博士の言動もつじつまあうのですがーーー^^;

私的にはカチュアとは別のところの二人の確執がおもしろいなと思うので…今度その視点で見てみます(^^;

 話的には絶対40話のほうがいいんですけどね〜。どうも公式設定のほうだと無理ありすぎという感じで。
 そもそも14になるまでおとーさんがついててあんなになるか? というのが基本的な疑問ではあるんですが(親がラインハルトの親のようなロクデナシだったら分かりますけど)。
 実はあの14歳で父親亡くして云々って、33歳バージョンの過去設定じゃないかと思うですよ。たとえば14歳で親が死んで数年間サライダ博士の所に身を寄せて、その後家出して士官学校へ、というなら、育ての親扱いもまあ納得できるんですが……。

ムック<14歳説によると(いやムックじゃなくてもですが)父親の死って地球軍との戦渦に巻き込まれてじゃなかったでしたっけ。それで父親の仇を討つぞーみたいな感じで軍に入ったと書かれておりますが、そっち方面いくよりは、地球人との間に生まれた混血の劣等感を克服してククトニアンとして生きていくために軍に入った、の、「独自設定40話」(笑)からの流れの方が面白いなあ〜〜〜と思います。

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